夜風をあびるために、クリスは部屋を出た。
通る者もいないというのに、人目を避けるようにして向かったのは、ブラス城裏手のバルコニー。特に見るべき景色もないそこには、歩哨の兵もあまり目を向けない。
小さな金属音とともに外に出る。
とたん、ざあ、という風の音がクリスの頬をなでていった。
目の前は川と森。明かりも人の気配もない。
いや。
人の気配を感じて、クリスは身構えた。
バルコニーの端、ちょうど明かりの影になるあたりに人がいる。
剣に手をかけ、殺気を放つクリスを見てとって、その人物はゆっくりと闇から姿を現した。
「やれやれ……貴女だけはごまかせませんね」
「パーシヴァル?」
姿を現したのは、パーシヴァルだった。
部屋着なのだろう、ラフな黒の上下を着た彼は、まだ闇から分離しきれていない。
「どうした?」
「別に……少々風を感じていただけです」
貴女もそうでしょう?
問われ、クリスは頷く。
「ああ。だが、何故気配を隠す」
少しばかり心臓に悪い登場をされたせいか、クリスの声音は強めだ。パーシヴァルは、くすりと笑った。
かん。
「貴女に知られたくなかったから」
パーシヴァルの返答と同時に、クリスは心の中で鐘の音を聞いた。
これは、警鐘。
危険を知らせる、音。
「何故?」
「さあ? 見られたくなかったのでしょう。この姿を」
かん。
また、鐘が鳴る。
いつものように柔らかく笑ったはずのその表情の陰影が、妙に濃い気がしたのは、何も月明かりのせいだけではないだろう。
「では、邪魔をしてしまったようだな」
「……帰っちゃうんですか?」
くるりと踵を返そうとしたクリスに向けられたのは、残念そうな声。クリスは眉をひそめた。
矛盾している。
クリスはパーシヴァルに向き直った。
かん。
「一人がいいのではないのか?」
「貴女の花の
かん。
その言葉を訝しんだクリスは、夜風に運ばれてきたある香りに納得した。
「パーシヴァル、お前酔ってるだろう」
「その通りです」
かん。
酔った男の表情は、いつも以上につかみ所がない。
「全く……」
ため息一つついて、一歩パーシヴァルに近づく。するとパーシヴァルは一歩後退した。
「パーシヴァル?」
常の彼の行動からは想像のつかない所作に、クリスは目を丸くした。
この男が、自分を避けるなど。
「あまり近づいてはいけません。……危ないですから」
「危ない? このバルコニーはまだ修繕の必要はなかったと思うが」
「貴女だけが、危ないのですよ」
かん。
パーシヴァルの言葉を裏付けるように、また鐘が鳴る。
パーシヴァルは、手に持っていた携帯用のウィスキーボトルを軽くあおった。月明かりの中、そこだけ白く浮き上がっていた男の喉が上下する。
かん。
「……クリス様」
「何だ」
「時々、こういうことってありませんか? 目の前にあるものを全て壊したくなるようなこと」
「……なくは、ないな」
ざあ、とまた風が渡り、月が翳った。
闇の中、男のほほえみが見えなくなる。
「それまで積み上げてきたものが全てなくなると知っておきながら、引き裂きたくてしょうがなくなること」
かん、かん。
「……わからなくも、ないが」
くつり、と男の喉が鳴った、ような気がした。
ふと相手が動く気配。
腕がこちらに伸ばされたのか。
「貴女も飲みますか、クリス様」
差し出されているらしい、ウィスキーボトルは見えない。
かん、かん、かん。
「頂こう」
クリスの答えに、男が息をのむのがわかった。断られると思っていたのだろう。
このあたりかと見当をつけてのばし返した手に、金属のボトルが触れた。そして、暖かなパーシヴァルの手も。
受け取ったボトルは、半ば以上が消費されていた。
かん、かん、かん。
けたたましく鳴る鐘の音。
しかしクリスはじり、とパーシヴァルとの距離を縮めた。
「パーシヴァル……お前はこんな衝動を抱いたことはないか?」
「どのようなものです」
「自分自身を誰かに壊され、滅茶苦茶にされてしまいたい衝動だ」
いつもは饒舌なはずの男の言葉が途切れる。
「……貴女は、おありになる?」
かん、かん、かん、かん……!
パーシヴァルの手が、腕に触れる。
それは、腕の形をなぞるようにゆっくりと……手のほうへと移動する。
触れあう、手と手。
きっと今この手を握り替えしたら、男が手を離すことはないだろう。
警鐘は今や頭いっぱいに鳴り響いている。
だが。
「ああ、ある」
危険を告げる鐘の音を全て無視して、クリスはパーシヴァルの手を握り替えした。
男の体がクリスに覆い被さる。
クリスは、鐘の音が途切れたことを感じながら、男の腕に身を預けた。
お題コンプリートあと二つか〜と思っていたところ、
運良く天使が降りてきた一作です。
この後ナニがどーなったかは知りません。
衝動に任せたクリス様と、酒で壊れ気味のパーシヴァル。
翌朝のお互いの心境が大変そうです(汗)
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