BASTARD!

 その日、クリスはぬくもりの中でめをさました。
 わずかな重みとともに、クリスを柔らかく包み込むぬくもり。
 自分の体温よりわずかに高い、その温度が心地よくて、まだ目を閉じたまま体をすり寄せる。
(気持ちいいなあ)
 それに、安心する。
 きっと、ぬくもりと一緒に伝わってくる緩やかな鼓動のおかげだろう。
(……ん? 鼓動?)
 そこまで考えて、クリスはそのぬくもりの正体が、あり得ないものであることにやっと気がついた。
 暖炉や湯たんぽなどの、道具のもつ暖かさではない。生き物のもつ暖かさ。
 しかも、犬猫などの小動物などではない。
 恐る恐る、目を開けてみる。
 はたしてそこには、眠る男の顔があった。
 黒く長い睫毛に、やはり黒い髪。女好きする甘い造作のくせに、精悍さもある美貌。いつもの特徴的な髪型は、寝乱れて全ておろされていたが、間違いない。パーシヴァルだ。
「……っ!!!!」
 熱源の正体は、パーシヴァル。
 その事実に行き当たって、クリスの血圧は一気に上昇した。思わず跳ね起きる。そして、更にとんでもないことにきがついた。
「……な」
 クリスは、服を着ていなかった。正確にはパンツ一丁のかなりのセクシースタイルだ。そんな姿。
 視線を落とすと、まだ眠りこけているパーシヴァルの肩もまた、裸だった。
 シーツをめくって、更にその下をパーシヴァルが着ているか確認したい衝動にかられたが、それを確認しても無駄な気がした。
 今度はぐるりと辺りを見回してみる。
 シンプルな家具が上品に並ぶ男物の部屋。知らない部屋だった。
 だが、窓から見える景色(特に街の中心を示す評議会の建物)の位置関係から、パーシヴァルがゼクセンに借りているフラットであると見当がついた。
(えっと……昨日私は何をしたんだっけ?)
 一気に血圧があがったせいでくらくらする頭を抱えてクリスは考える。
 そう、昨日はビネ・デル・ゼクセのバーで騎士団の面々と酒を飲んだのだ。
 体育会系ののりで飲んだせいかかなり酒を飲み過ぎてしまったから、パーシヴァルに送ってもらうことにして……。
(そのあたりから、記憶がない)
 先ほどは血圧があがっていたのに、だんだんクリスの顔から血の気が引いていた。
 服をほとんど着ずに、男の部屋で密着したまま迎えた朝。
 その前に、何かしているのが普通である。
 パーシヴァル流のたちの悪い冗談ではないだろうか、とかなりなさそうな可能性を探していたクリスは、体の中心に痛みを感じて、顔をこわばらせた。
「……っつ」
 ずきん、と痛みを感じたのは、体の内部。
 普通の怪我ではあり得ない位置だった。
 体の中心、下腹から下の……女性のみの大事な器官。
(これは、もしかして……)
 女が初めて男を受け入れた時に体験する痛み……の、なごりでは……ないだろうか。
 思い至った瞬間、クリスの脳裏に、男の熱や自身の喘ぎがフラッシュバックする。
 そうだ。
 確かに自分は昨日パーシヴァルに抱かれたのだ。
 全く経緯が思い出せないのだが!!
 恐慌状態に陥っていたクリスは、そのときふと視線を感じた。
 見ると、寝ているとばかり思っていたパーシヴァルが目を覚ましてこちらを見上げていた。
 男は幸せそうに微笑む。
「いーながめ……」
 パーシヴァルの瞳に映るものが、自分の裸身であることに気がついたクリスは、思い切り彼の頭を殴りつけていた。





「さいってー」
 断言されて、クリスはうなだれた。
「やっぱそう思う?」
「あったりまえじゃない。最低よ、最低!」
「だよなあ……」
 クリスはテーブルにつっぷすると、深いため息を漏らした。
 パーシヴァルの部屋で目を覚ました翌日、クリスは数少ない女友達、リリィ=ペンドラゴン嬢の部屋を訪れていた。
 もちろん今の状況について、相談に乗ってもらうためである。
「あんた、男の部屋に転がり込んでおいてやったこと全部忘れるって、どんだけ飲んだのよ!」
「あー……ビールをジョッキに五杯と、赤ワイン2本と……ブランデーをボトルに半分消費した……ような……」
「最低なだけじゃなくてバカなのね」
「そう思う」
「で? しかも? その間にパーシヴァルに告白されて、OKしてたらしい、と」
「ああ」
 あの日の朝(もちろん殴ったあとだが)、『貴方を手に入れることができて嬉しい』だの『ずっと一緒にいたかった』だのと甘い言葉をはかれまくったのだ。それは間違いない。
「かわいそーパーシヴァル。折角恋人になった女が一大恋愛イベント全部忘れてるなんてね」
「ううううううう」
 クリスはうめいた。
 本当にパーシヴァルに申し訳なさ過ぎる。
「で、どうするつもりなのよ、あんたは」
 言われて、クリスは体を起こした。その顔は、泣く一歩手前である。
「どうしよう」
「どうしようって……そーねぇ……正直に言ってもパーシヴァルに悪いし…………あ、そうだ」
 ぱん、と手を叩いてリリィがにっこりと笑った。不気味なほど嬉しそうなその笑顔に、クリスは嫌な予感を覚える。
「な、何だリリィ」
「このままつきあっちゃったら?」
「は?」
「黙ってりゃばれないって! あんたには恋人ができるし、パーシヴァルは幸せだし、ほら丸く収まるじゃない」
「いやばれるだろ!」
「だいじょーぶよぉ。相手はあんたにベタ惚れなんだから。側にいるだけで全然OKよ!」
「リリィ!」
「クリス……だいたいパーシヴァルに言える? 覚えてません、ごめんなさいって」
「う」
 クリスはうなった。
 それが簡単に告白できたら苦労はしていない。
「じゃあ決まり! お幸せにねークリス!!」
 笑顔全開のリリィに、クリスは力無く頷いた。





 そして数日後、クリスはパーシヴァルと街にいた。
 お互いの休暇が重なったので、「デート」だったりする。
 現在のところ、クリスとパーシヴァルの間はうまくいっていた。仕事の間は同僚。仕事が終わったあとの短い時間に、少しだけ甘い言葉を交わす。
 そんなくすぐったい関係だが、まだ恋人という言葉に慣れていないクリスには意外に心地良い。
 意外にやればなんとかなるものだ、とクリスは妙なところで驚いた。
 そして、一つわかったことがある。
 パーシヴァルは、かなりいい男だ。
 生来のフェミニストなのか、クリスにはどこまでも甘く優しく接してくれるくせに、仕事の邪魔は決してしない。
 その上、このハンサムな顔に優雅な物腰。
 この男に、自然発生的にとりまきができる理由が改めてわかった気がする。
(いいのかな、こんないい男と一緒にいて)
 嬉しい反面、残るのは黙っていることの罪悪感。彼が一緒にいてくれることは、クリスにはとても嬉しいのだけど。
「クリス様、どうされました?」
 考え込んでいたところを、パーシヴァルに顔をのぞき込まれた。不意をつかれて、クリスは慌てる。
「い、いやなんでもないっ……その、晩ご飯が楽しみだなとか思ってて……」
「私本人より、ご飯が楽しみですか。自分がこれからつくるものですが、自分の料理に嫉妬しそうですよ」
「そんなことは言ってないだろう」
 クリスが慌てると、パーシヴァルは笑った。
 今日は、市場で買った食材を使ってパーシヴァルが料理を作ってくれる予定なのだ。場所はパーシヴァルの借りているフラット。あの朝以来の訪問である。
「た、たた楽しみなのはだなあ……!」
「楽しみなのは?」
 言い訳を始めたクリスを、パーシヴァルはおもしろそうに見ている。
「お、お前の作る、料理だ、だからだ!」
 必死に恋人らしい言葉を引っ張り出して耳まで真っ赤にして反論すると、パーシヴァルの表情が少し固まった。それから嬉しそうに苦笑する。
「なるほど。それなら料理に一歩譲りましょう。ただし」
「ん?」
 パーシヴァルはくすくす笑いながら、クリスの耳元へ唇を寄せる。
「料理のあとに私も召し上がってくださったらね」
 有る意味、恋人としてあたりまえの言葉を囁かれてクリスは恐慌状態に陥った。





「うかつだった……」
 フラットのリビングで、クリスはため息をついた。パーシヴァルが料理のためにキッチンにこもっているのをいいことに、ぐしゃぐしゃと頭をかきまわす。
 自分のバカさ加減に腹がたつ。
 体の関係から入った大人の恋人同士。
 お部屋で晩ご飯、なシチュエーションならそういう展開になるのが当然だ。
 かわいく囁きあっておわりなわけがない。覚悟をしていなかった自分がうかつなだけ。
 つきあうことを決めたのなら、ここで抱かれる覚悟をするのが道理だろう。
「だけど……」
 クリスは立ち上がるとキッチンとは別方向のドアをあけた。
 中を見ると薄暗い部屋の中にシンプルなデザインのベッドと家具がある。寝室だ。
 数日前のことを繰り返すのなら、ここで再びパーシヴァルに抱かれるのだろう。
 断片的ながらも刺激的な記憶を呼び起こされ、クリスは顔に血が上るのを感じる。
(私、は)
「クリス様、どうされました?」
「うわぁあっ!!」
 キッチンにいるとばかり思っていたパーシヴァルの声が耳元でして、クリスは悲鳴をあげた。
「ぱ、パーシヴァルっ!! いつのまに!!」
「ついさっき、ですよ。オーブンに肉をいれてちょっと手があいたから貴女と話そうと思ったのに、リビングにいないのですから。どうしました、こんなところで」
「あ……いや……その」
 考えていたことがことだけに、クリスはあわてて後ずさった。
 真っ赤になってあとずさったクリスに、パーシヴァルはくすくすと笑いながら近づく。
「こんなところでいるなんて……誘ってますか? もしかして」
「そ、そんなことはないっ! わ、私は……っ」
「私は?」
 パーシヴァルがまた近づいた。壁際に追いつめられたクリスの左右に手をつき、腕の中に閉じこめる。
「クリス」
「パーシヴァ……!」
 唇に触れる吐息。
 クリスは、反射的にパーシヴァルを突き飛ばしていた。
「つっ……」
 騎士であるクリスのとっさの力は、決して軽いものではない。
 パーシヴァルはよろけて後ずさった。
「パーシヴァル……! すまない!!」
 慌てて手を伸ばしたクリスの手を、パーシヴァルは制する。
 体を起こしながらじろりと睨まれて、クリスは体をこわばらせた。
「パーシヴァル?」
「私に触れられるのは、お嫌、ですか」
「違うんだ、パーシヴァル」
「どこが違うのです? 嫌だから、突き飛ばしたのでしょう?」
 パーシヴァルからは表情が消えていた。
「パーシヴァル……」
「もうやめにしましょう?」
「やめって」
 パーシヴァルは目を伏せる。初めて見せる、傷ついた表情だった。
「茶番をやめにしよう、と言っているのです。私がどれくらい貴女を見つめてきたと思うのです? 貴女が私といて緊張していることなど、お見通しですよ。……後悔、しているのでしょう? あの夜のことを」
「違う! 後悔なんかしてない」
 クリスは怒鳴った。自分でも驚くほど強い否定だった。
 酒を飲み過ぎたこと、それだけは後悔しているけれど、パーシヴァルとの関係に後悔はなかった。でなければ、隠し事などせずに関係をやめている。
 触れられることだってそうだ。
「お前に触れられるのが嫌なんじゃない、嫌なんじゃ……ないんだ」
「私を拒絶しておいて?」
 クリスは首を振る。
 自分でも不思議なことだったけど、この緊張は、嫌悪のためではない。
 嫌だというより、この感情は、
「怖いんだ、パーシヴァル」
 つぶやいて、確信する。体を縛るこの感情。それは恐怖感だ。
 抱かれることの体の恐怖。
 愛されることの心の恐怖。
 恐怖感を持っていることをパーシヴァルに気づかれ、秘密を知られることの恐怖。
 何故ここまで、あの日の記憶がないことがばれるのが怖いかというと。
「お前のことが……好きだから」
 結論に思い至って、クリスは息を吐いた。
 わかってしまえば単純なことだ。
 自分の隠し事が知られたくなかったのも、無理矢理関係を続けようとしたのも、パーシヴァルが好きだったから。知られて嫌われるのが怖かったのだ。
「クリス様、それは本当に?」
「当たり前だ! だいたいこの石頭の私が、酔っていたって、なんとも思わない男と寝るわけないだろうが!」
「……ああ、それは確かに」
 パーシヴァルが頷く。その腕を、クリスは自分から掴んだ。離れてしまわないように。
「お願いだから……待ってくれ。嫌いなんかじゃないんだ。ただ……怖くて」
 ふわり、とパーシヴァルの腕が震えるクリスの肩を包み込んだ。壊れ物を扱うように抱きしめられる。
 そして心底安堵したため息がクリスの耳に届いた。
「ああ、なんだ」
「ん?」
「展開の早さにちょっとついていけなくなっていただけなんですね」
「ええと」

 それはちょっと違うぞパーシヴァル!!


 とは思ったが、クリスはこれも黙っておくことにした。


BASTARD!
とは、どこかのキスで封印がとける魔法使いの話ではなく
英語の俗語(「こん畜生」とかそのへんの、人に対する蔑称)
がもとです。

朝おきたら男の部屋。
でもって、そのままつきあっちゃうダメ女クリス様。
たまにはだめだめクリス様もいいかなあと思って書き始めたのですが
予想外にクリス様のモラルレベルが高くて、難産でした。

く、クリス様……アホな展開にならないよう。

余裕があればパーシヴァルサイドの話も書きたいです。
こっちもだめだめな感じ(笑)で。


>戻ります〜〜